2005年6月4日土曜日

回想録5:不夜城

とにかく仕事ができる体制を早急に作らないと・・・。
僕は知人に声をかけまくり、
そのまた知人を紹介してもらったりという感じで、
日々人に会い続けた。
もちろん怒涛のように仕事が次から次へと・・・。
「どないなっとんねん!」って感じです。

その頃はインターネットでの求人求職サイトで今のようにメジャーなサイトはまだなかったが、
それでもフリーの人材とのマッチングのサイトなどがあったので、
僕は経歴や実績を見て、
できそうだと思った人材にはメールを出すようにしていた。
また個人でHPを制作して、自分の作品をアップしているのを見つけると、
その作品や手法を見て、僕がやろうとしていることが実現できそうな人材にメールを出した。
そんなメールに反応して、
BWに来てくれて今もチームのリーダーとしてがんばってくれているスタッフもいる。
あるいはカフェのオーナーの友人がいたので、
そこに行って「お客さんで仕事できる人いてへんかなー?」と呟いたのをしっかりと聞いてくれていて、
彼の友人の女性を紹介してくれた。
僕はそのカフェの2Fでこの女性を面接したことを今も覚えている。
果たして面接と呼べるものだったのかどうかですが・・・。
驚いている彼女の眼差しが、「この人、なに言うてはんの?」って感じでしたから。
そこで紹介をして貰った女性はボロボロのBWで、
大事な総務業務を担当してくれました。
この女性も社内結婚をして、今も夫婦でがんばってくれています。

新しい人材を入れながら、
様々な問題を収拾し、目の前の仕事をこなして行く中で、
ここで書けないような信じられないような問題もありました。
でも1日1日耐えることで、
会社が少しずつ元気になってきているのを感じることができるようになってきていました。
この頃から僕は毎朝、朝礼をするようにしました。
全員の顔を見て、今日の動きを説明するだけでも、
今までと違う雰囲気が会社に流れるようになってきました。

「なんとか乗りきるんや!、潰れる時は潰れるんやから思いっきりやったれ!」と、
自分で自分を励ます日々の連続でした。
幸い仕事は取れていたので、
人さえ確保できれば会社は以前以上の会社になると確信を持って動いていたので、
これも僕自身を踏ん張らせる要因でもありました。
そして新たに加わってきたスタッフ達は僕と一緒に、
仕事はもちろんのこと、昼夜を問わずBWの将来を考えるようになった時でもあったような気がします。
その後、会社も活気を取り戻し、
人も増えてきて、「電気の消えない会社」、「眠らない会社」と言われるようになり、
BWはいつしか周りの会社から「不夜城」と呼ばれるようになっていました。

園田有希生 31歳、
BWは創業4年目の夏を迎えようとしていました。