2005年4月15日金曜日

回想録2:ネットバブルってか!

ティッピングエリアで僕がやろうとしていたことは、
今でも実は規模を変えてずっと継続してやってきていて、
大阪本社のビルにはBWと取引のある会社がテナントとして入っています。
テナントが空くと僕は密にお取引をしている、
開発会社や企画・デザイン会社に声をかけて、
引越しを進めたり、
新しい会社を設立する際に、テナントとして借りたりしています。
今は3Fが1フロアー空いたのですが、
既にBWの取引先や僕の知り合いに声をかけて、
引越しと事業所の拡張を検討していただいています。
こんな感じなので、時々というか頻繁に、
不動産屋さんと間違われています。
今は小さなことをコツコツと積み上げているところです。
実はこのティッピングエリアというプロジェクトですが、
その先に僕なりに描いている夢があるので、
可能な限り多くの賛同者を得て、少しずつでもいいので、
そのエリアを拡大していきたいと思っています。

ネットバブルと呼ばれた時代は1998年ごろからだっただろうか。
僕が起業して間もなくバブルがやってくることになるのだが、
僕が世の中の異常さを認識できたのは、
1999年、有限会社から株式会社に組織変更をしてオフィスの移転をした頃だったかと思う。
BWにはソリューション事業部とデータデザイン事業部という2つの事業部があった。
Webの企画やデザイン、開発をしていたのはソリューション事業部だったが、
スタッフは1名しかいなかった。
つまり僕一人である。
残りのスタッフは多いときで5~6名ほどだったと思うが、
データデザイン事業部に所属しながら、
企画やデザインの仕事をしてくれていた。
データデザイン事業部は紙媒体のデータをデータベース化するために、
データを入力したり、クライアントが会議に使うマーケティング資料などの作成を代行したりする事業部で、
その当時はかなりの収益を上げていた。
ただソリューション事業部というか、開発メンバーがいなかったため、
全て外部に委託していたのでトラブルも多かった。

この頃は誰もがドットコムビジネスを追いかけていた。
1日何件もの企画を持ち込まれて、
「いずれ上場するので開発費用の支払いはその時に!」とかなんとか言われたり、
「上場したいので、企画をして欲しい!」とか言われたり・・・。
VCも何故かBWにやって来て、「投資します!」とか言ってくれてました。
僕は思わず「何に投資するんですか?」と聞いてしまいました。
確か答えは「あなたの未来に!」だったと思います。
本当にこんな感じだったんですよ。

その当時の僕は投資も何も考えておらず、
また東京に本社のあるクライアント様のコンサルもしていたこともあり、
頻繁に東京にも行っていましたので、日々の仕事で精一杯でした。
こんな状況だったので、起こるべくして起こった事件がありました。
僕自身が抱えている仕事のボリュームが多すぎて、
社内のスタッフの仕事の管理や社内制度などは全く作れずにいたある日、
スタッフ全員が辞めるという事態に陥りました・・・。
以前、体調を崩して入院した時に、
スタッフがいなくなったことがあったのですが、
それはそれで大変だったのですが、
今度はちょっと規模も大きくなり仕事のボリュームも増えていたので、
一大事でした。
「世の中はネットバブルで花火が上がってるのに、
なんで僕んところはこうなるの?」
ってちょっと落ち込んでいた時期が僕のネットバブルの最盛期でした。

しょぼいぜ!