あの人は「幸運」だった。
自分は「不運」だった。
こんな風に思ったことないですか?
運ていうのは結構その辺に転がっていて、
「幸運」にも「不運」にもなるんだなこれが。
運を掴んだ瞬間からの自分の行動や気持ち、
色んな要因で「幸運」になったり「不運」になったりするのだと思う。
ここ最近で「明暗の分かれる瞬間」を見せてもらっているし、
自分自身も体験させてもらっているので、
抽象的ではあるが「運」のままでおいて置くことも大事なんだと気づいた。
何を望むかにもよるが、「運」を左右するのは自分自身であり他人ではない気がする。
「幸運」は待ってるだけでは決して訪れることはなく、
自分で努力して掴むものではないだろうか?
「何もしていないのに、なんでこんなについてないんだろう」
何もしないから「不運」がやって来たのだ。
「不運」は「不運」を呼ぶ気がする。
「不運スパイラル」から抜けるにはどうすればいいのだろう。
僕がここ最近で見たり体験して気づいた限りでは、
自分にも他人にも誠実であり、
自分の行いを客観的に見ることができれば「不運」を少しずつ離すことができるはずだ。
もしこの過程で失うものがあったとしても、
それを取り戻すことができるかもしれない。
失ったものを取り戻せたならばそれは「幸運」ではなかろうか。
そのための努力を惜しんでいては「幸運」は掴めない。
明日も「幸運」に向かって努力します。
久々にDVD。
今日は「ドラムライン」で爽やかに感動だ!
マーチング・バンドってエンターテイメントなんだな。
最後までみれるかな~。